2015年10月2日公開
監督:牧原亮太郎
脚本:瀬古浩司、後藤みどり、山本幸治
原作:伊藤計劃、円城塔
キャラ原案:redjuice
キャラデザイン:千葉崇明
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あらすじ:1878年ロンドン、死体を生き返らせて労働力とする技術が発達していた。しかし、その技術は各国の秘匿とされ、民間で解析することは禁じられていた。それをワトソンは解析に成功して友人フライデーを蘇生させる。英国秘密組織ウォルシンガムのMが罪の免除の代わりとしてワトソンに「ヴィクターの手記」捜索を命じた。
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すみませんが、原作未読です。
そのせいかな、映画の意味がわからなかったです。
特に最後について、霊素をぶち込まれたワトソンはエンドロール後にホームズと元気よく暴れまわっていました。そんなことが可能になるほどの技術革新があったということでしょうか。そもそもワトソンがカラマーゾフみたいに自責の念であんなことをしたのかなと思ったのに、エンドロール後のアレですからね、意味がわからんですよ。
これ、原作を読まないとわかんねえな。
キャラデザインも、フライデーとニコライがよく似ていたので、初めてニコライが登場したときはフライデーの過去を振り返っているのかなと思ってしまいました。
ワトソンが手記を追う理由、手記を廃棄したがらない理由は理解します。フライデーの魂を蘇らせたいから手記を見つけて解析したいのでしょう。でも技術を発達させたいという気持ちもありますよね。ザ・ワンは亡くした者の魂を蘇らせたいだけであって、技術の発達なんかどうでもいいでしょう。
人工知能にも通じるところがありますよね。ハダリーが魂を求めているから、彼女も屍者なのかなと思ったら実はアンドロイドだったという……そのおかげでこの世界の技術レベルはいったいどうなっているのかわからなくなったのでファンタジーということにしました。
とにかく、人工知能を開発したい、そのためにワトソンはがんばっているのです。バーナビーなどはそのことをなかなか理解してくれなかったのが残念です。そのバーナビーが恐れていた、とてつもない被害を出してしまいました。
ワトソンが願っていたことは悪いことではないし、でも想定外の被害が出たのは仕方ないねと思います。ただ、その被害の大きさが尋常ではなかったです。ザ・ワンやMとワトソンたちがロンドンで対決しているとき、ほぼ人類滅亡していませんでしたか。そんなふうに見えました。こんなことになってしまったら今さら何をやっても遅いのではないかと思えました。でも、戦いが終わってみると、世界は元通りなのです。どうなのかな、これは。このへんも原作を読まないとわからないのかな。
原作と映画のあらすじが違うという可能性もありますよね。原作だとフライデーはワトソンの友人ではないようですね……そいつは衝撃的ですよ。だから、映画ではワトソンとフライデーの仲良しだった物語がほとんど語られなかったのですかね。
「時は来た」だのセリフが恥ずかしい、ワトソンの事あるごとに舌打ち歯ぎしりが気になるという点もあります。
それにしてもこの映画はびっくりするくらい女っ気がありませんなあ。ハダリーが女だと思いきや人間じゃないし、それは別にいいんですけど、ちょっと気になりました。ハダリー、いいよね。
そんなわけで、虐殺器官だけは読みましたので虐殺器官公開が楽しみだったのにまさかの延期です。もうちょっと時間と金をかけるべきだったのに、日本のよくあるアニメという程度におさまってしまっているのが残念です。ピクサーがすごすぎるのでしょうか。
そんなこんなで、ハーモニー公開を待ちます。