観るクソ映画をサイコロを振って決め、このブログで感想を述べる、渡されたクソ映画リストを少しずつ減らしていく、ミヒャエル・ハネケ監督の存在を知ったというか知らなかった私は映画のことを何も知らないんだなと知らしめることとなった企画第9回です。さて、前回サイコロで当たったクソ映画は『ファニーゲーム』。
1997年オーストリア。ミヒャエル・ハネケ監督。
バカンスを別荘で過ごすため車を走らせるショーバー一家。夫ゲオルグ、妻アナ、息子ショルシ、愛犬ロルフィ。別荘に着いて準備をしていると、ペーターと名乗る若者が訪ねてきた。そのあとパウルという若者も加わる。彼らは12時までに一家を皆殺しにするという。
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なぜこの映画がクソ映画リストに加えられたのか、それを知りたいです。
それで、面白かったか、面白くなかったかで言えば、面白かったです。笑うとかそういう意味の面白いではありませんよ。
ペーターとパウルの2人の若者にはひどく不快な思いをさせられます。まるでこの一家がドッキリカメラにはめられているかのような感じです。一番腹立ったのは、パウルが私に向って話しかけてきたことですよ。映画を観ているんだと思わせる演出はやってほしくなかったです。観客がいることをわかっている設定なんですね。1度目の観客への問いかけは、観客がいるという設定なのか、パウルが極限まで頭おかしいヒトだよとわからせる設定なのか、わからなかったです。
でも、そのあともこっちに話しかけてきたので、そういう設定なんだな、と。
ただ、この不快にさせる演出は、そうか、これって不快に思わせたいんだなと気づいてしまうと嫌な気分になりました。演出なんだと気づいたとき、それは、観ている私がサイコパスなんじゃないか、と不安になりました。本当に嫌な映画です。
アナがペーターを撃ち殺す場面については、徹底的に正義だとかすべてを排除する行為があって、ペーターとパウルはもしかしてヒトじゃないのかなと思ったりしました。
カンヌ映画祭では批評家や観客がショックのあまり席を立ったといいますが、私は途中で飯を食うために席を立ちました。この程度の映画で途中席を立つならラース・フォン・トリア監督作品なんて席で立てずにショック死しますよ。
2人の悪業よりアナのもたもたでもイライラしていました。自由になれたのに、どうしてもっと急いで行動しないのですかね。子供が既に死んだ後だからやる気がなかったのでしょうかね。
というわけで、ペーターとパウルの薄い本が出るかもしれない2人の仲がおすすめです。(114)
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では、次回観るクソ映画を選びます。選ぶ過程は省いて選ばれたのは『明日、君がいない』です。この映画もクソなんですか? それではご期待のなきよう。