2021年2月日本公開
監督:アントワーヌ・ランボー
原案:アントワーヌ・ランボー、カリム・ドリディ
脚本:アントワーヌ・ランボー、イザベル・ラザール
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あらすじ:2000年に実際に起きたヴィギエ事件を題材とした裁判サスペンス。妻殺害の容疑をかけられている被告は1審で無罪を言い渡されたところからこの映画は始まる。検察が控訴した。夫妻の娘の友人であるノラはデュポン弁護士に弁護を依頼するため被告が無罪である証拠を分厚い資料へと作成して提出した。一度は弁護を断るが、資料を読んだデュポンは引き受けた。デュポンはノラに250時間分の録音記録を渡した。ノラによる記録の解析が始まるのだった。
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ノラが冒頭でしつこくデュポンに弁護を依頼するわけですが、そこまではいいとしましょう。そのあと、デュポンはノラに莫大な量の録音記録を渡しました。それをノラは受け取らなかったのです。ここから私の頭が混乱しはじめました。
めちゃくちゃしつこく弁護を依頼したのに、弁護への協力は拒む??? 拒む理由はノラの息子のスキーへついていくためでした。そんなことで弁護への協力を拒むのだったら最初から弁護を依頼するなという話になります。
私はノラにかなりの不信感を抱いたままこの映画を見ることになりました。
さて、ノラの行動に不信な点がみられるのはさておき、さておき、この事件の裁判そのものが狂っています。妻殺害の容疑なのですが、なんと! 妻の死体は見つかっていません。殺しに使われた証拠はいっさいなく、妻は行方不明にしか見えないのです。にもかかわらず、警察と検察は夫を殺人容疑で訴えています。マスコミも夫が犯人だと決めつけているようです。
フランスではいっさいの証拠がなくても、遺体がなくても、殺人容疑で刑事裁判を起こすことができるというのですか。なんというおそろしい国でしょうか。そんな狂った大前提があるので、なかなか映画の内容が頭に入ってきません。検察の横暴がひどすぎます。
次に、この映画で気になる点は、夫妻の周りにいる人物の電話を録音したものが250時間存在するという点です。250時間だと!? すさまじい量です。関係者すべての電話を盗聴していたということですか。この録音記録がすべてのカギとなっていくわけでした。
出てくる人物の挙動がどれもこれも一貫していないというか、ノラも弁護士もやってることがちぐはぐで、見ていてイライラするのですが、そもそもこんな事件を刑事裁判にできてしまうことが狂っているのですが、いろいろおかしすぎて、見ているのがつらい作品でした。
録音記録によるとどうやら某人物が怪しいということがわかってきます。その人物を犯人だと決めつけたノラは、デュポンにそのことを強く主張するのですが、デュポンはそれを取り合ってくれません。え? なんで? 夫の容疑を晴らすことができるのに、どうして?
誰が犯人なのか。
そんなことはどうでもいいんだ。
重要なのは、誰が真犯人なのかではなく、夫がやったのかやっていないのか、ということでした。
なるほどな。最終弁論のデュポンの熱い主張をご覧ください。