島の北岸中央部にある浦野墓地へやってきました。和風と琉球風の折衷といった感じの墓です。ブログを書いていて気付いたのですが、亀甲型の墓を撮っていません。島はもともと風葬に近い埋葬をしていたそうです。崖に安置していました。和式の埋葬文化が流入すると、亀甲型の墓へ遺体を埋めるようになったようです。火葬する文化は今でもないようで、島に火葬場が今でもないはずです、たぶん。
浦野墓地の中にあるビーチ。墓地は国の敷地なので墓を置くことは本来禁止なのですが、今でも埋葬は続いています。
墓地から海を眺めます。
浦野墓地最大の墓がこちらです。建設費1億円だそうです。門の奥にある三角形の建物が墓本体です。
浦野墓地へ来た理由は、海に向かって立つ地蔵を見たいからです。浦野墓地に来てずっと地蔵を探しています。30分以上墓地をうろうろしています。でも、まったく見つかりません。どこにあるのかわかりません。
wikipediaにある地蔵の写真を再び見ました。写真の風景から場所を特定しようとしたのです。上に貼っている写真がwikipediaと同じはずです。海の奥で白波が立っている位置、海に迫り出している岩の形、この方向にあるはずです。でも、ありませんよね。
もしかして倒れているのではないかということで、地面にしゃがんで草をかき分けながら地蔵を探していたら見つけました。やっぱり倒れていました。見つからないわけですよ。
起こしました。これこそwikipediaと同じ写真です。地蔵は意外と小さくて私の膝と同じ高さです。その小ささも見つからない原因のひとつでした。厳しい環境に立つ地蔵です。暴風に耐えているのです。
お昼ご飯は漁協食堂でいただきます。
カジキ定食です。沖縄はカジキの水揚げが国内最多、与那国は沖縄で最多の水揚げを誇ります。そして箸袋。やっぱり「うめーし」でした。
与那国といえば日本の最西端です。一般人が到達できる正真正銘の最西端です。最南端と最東端は一般人が到達できません。最北端は北海道宗谷岬です。宗谷岬は行ったことがあるから北と西はコンプリートしました。
一般人が到達できる最東端は北海道納沙布岬、最南端は沖縄の波照間島です。納沙布岬は行ったことあるけど波照間島はまだ行ったことがありません。波照間島はいずれ行きたいです。
条件が良ければ100キロ先の台湾が見える与那国ですが、今日はダメでした。
最西端は西崎という岬なのですが、読み方は「いりざき」です。西と書いて「いり」ということは日の入りを表しているという理解でよろしいでしょうか。
↑西崎から久部良の街並みを見下ろします。
↑この写真はどこを見ているものでしょうか。わからなくなりました。
次回、与那国島のおちんちん。