やくもとうずしおをがっつりと

ほぼ毎日19時更新。「映画鑑賞感想」は配信やDVDなど自宅で見た映画、『映画「タイトル」感想』は映画館で観た映画の感想です。稀に旅日記をやっています。

映画「非常宣言」鑑賞感想

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2023年1月日本公開

監督、脚本、編集:ハン・ジェリム

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あらすじ:ソウルのク刑事はネットにテロ予告動画を流したリュ・ジンソクの自宅を捜索した。そこでウイルスに感染して死亡している遺体が発見される。一方、リュ・ジンソクはインチョン発ホノルル行の旅客機に搭乗し、旅客機は離陸したところだった。旅客機には過去に何かあった元操縦士のパク・ジェヒョクも娘といっしょに搭乗していた。順調に飛行していくかと思われたが、リュ・ジンソクが機内のトイレにウイルスを散布する。乗客が次々と感染していき、1時間も経たないうちに死者が出てしまう。ク刑事や国土交通大臣のチームが対応する中、機内は深刻さを増していくのだった。果たして、150人の乗員乗客は生還できるのか。

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 面白かったのでぜひご覧ください。

 さすがの私も旅客機に乗るのが怖くなるレベルでした。このご時世に旅客機でバイオテロなんてやめてほしいですね。

 めっちゃ泣けるし、これでもかというほど事態は悪化します。ハッピーエンドは期待しないでください。最後まで覚悟してご覧ください。

 何より、日本の航空自衛隊所属戦闘機F16が当機にアレをやってしまいます。自衛隊がこんなことやっちゃうんですか。信じられません。本当にそこまでやっちゃうのなら頼もしくもあり、東アジアの和平が揺らぎそうで不安になります。

 旅客機のパニック映画は、機内の座席配置などがおかしかったり、予算の都合でかなり古い座席だったり、旅客機をちゃんと取材せずに撮影したのではなかろうかという作品が多い印象です。ただ、本作品はB777-200の機内を忠実に再現しています。座席にモニターがついているのもなかなかがんばっています。ただ、機内の様子はほぼ満席に見えるのに、乗客が121人(乗客以外に乗員29人)というのは少なすぎます。国内線仕様だと400席、大韓航空の国際線仕様だと260席なので半分以上が空席ということになります。そのあたりは惜しいですな。他にも気になる点はあるけれど、いっぱい泣かされたので良しとしましょう。

映画「ブラックナイトパレード」鑑賞感想

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2022年12月公開

監督:福田雄一

原作:中村光

脚本:鎌田哲生、福田雄一

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あらすじ:コンビニのポーソン練馬駅北口店でバイトをしている日野三春は就職に失敗し続けていた。同じコンビニで働いているカイザー君の罪をなすりつけられる形で店長に叱られてむしゃくしゃしていた彼は突然黒いサンタに誘拐され、気づけば北極のサンタクロースセンターで働くことになった。良い子には希望通りのプレゼントを贈るが、悪い子にはがっかりするプレゼントを贈る。なぜかセンターでカイザー君と再会しつつ、トナカイ試験を受けつつ、彼の奇妙な生活が続いていくことになるのだが……。

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 後ろの客に私の席の背もたれをツンツンされるし、後ろの客の貧乏ゆすりがうるさいし、近くの客の私語がうるさいし、散々な環境で散々な作品を拝見しました。

 前半で多用されたSEにイラッとするし、後半はSEないし、もう、ありがとうございました。覚悟の上で鑑賞したので文句はございません。

 ポーソンというネーミングはポプラも含まれるという理解でよろしいですか。みんな大好きポプラ。

 これが2023年1本目です。

神奈川東京へ行ってきた

御殿場線谷峨駅。神奈川県です。超寒いです。

↑新宿のとんかつ屋さん。

↑人生で最もうまいとんかつでした。

とんかつ屋さんでシメの昆布だし茶漬け。

↑新宿の路地裏。

↑大岡山の東工大前でつけ麺。

武蔵新城でやきとり。

↑相模大野で背脂煮干しそば。チャーシューとろとろ。

天竜浜名湖鉄道に乗ってきた

天竜浜名湖鉄道車内。浜松が近いからスズキのバイク。

天竜浜名湖鉄道金指駅。

↑スズキのカタナ列車。

天竜二俣駅。小さく©カラーって書いてあります。

天竜二俣駅。

入院しました

 すでに退院しています。10日間入院していました。退院後7日ごとに通院しています。

 病名は蜂窩織炎(別の書類では蜂巣炎)です。蜂窩織炎は人生3度目です。2009年ごろに入院しなさいと言われるほどの蜂窩織炎を発症して入院せずに治しました。人生2度目は2022年3月に軽いものを発症しました。2009年は黄色ブドウ球菌にやられましたが、今回はクラスなんとか単ナントカ菌にやられました。

 入院も人生3度目です。10日というやや長めの入院は小学生以来です。2泊の入院を2020年にやっています。

 2022年2度目の蜂窩織炎です。2022年1度目はかなり軽くて内服薬だけで治りました。

 11月中旬に左足脛に負った小さなかすり傷がいつまで経ってもかさぶたにならず、違和感程度の痛みが7日ほど続き、その痛みは2日間で急激に増していき、左足は腫れて右足の1.5倍の太さになりました。電車とホームの間に落ちたときの傷だったのですが、強い衝撃だったから骨にヒビでも入っているのかしらと思っていました。

 ゲロを吐きそうになるくらい痛くなってきて、寝ているときも激痛があり、脛の真ん中が1cmくらい凹みました。後に、凹んでいるように見える部分が腫れていないだけだということがわかりました。結果的に蜂窩織炎でした。

 今回の蜂窩織炎で最初に診てもらった医者が女医でした。何も言わずにいきなり股間に手を突っ込んできてびっくりしちゃいました。内心ハワーッとなっていると、「蜂窩織炎は足から突然股間に移ることもあるけど股間に痛みはないですか」と言ってきました。このとき入院を強く勧められましたがせっかくの旅先なのでもったいなくて入院するわけにいかないので、いろいろありまして入院はアレなんで薬だけくださいと伝えて、それならうちとしては責任は取れませんと言われつつ薬をもらいました。

 診てもらったあと、12月ということで入院したくなかったので自分でなんとかしようとしてかなり悪化させました。左足が水膨れだらけになり、ある朝ふとんが体液で汚れていることに気づきました。水ぶくれが破れていたのです。それ以降は破れた箇所から体液の流出が止まらなくなりました。ガーゼを1日に4回張り替えて、ズボンやふとんを体液で汚さないように防水シートを巻いていました。ガーゼの知識がなくて、高い滅菌ガーゼを使っていてシートやらガーゼやらで1日当たり5000円使っていました。こんなことなら入院しときゃあよかったと思いましたね。私の場合入院したら全額保険が下りるようになっていますから。

 11月の時点で蜂窩織炎だと気づいていれば入院せずに内服薬だけで済んだかもしれません。

 自分ではどうにもならんと判断して、地元町医者の皮膚科へ行きました。一瞬診ただけでうちではどうにもなりませんと医者が目の前で総合病院へ電話しました。このときの医者の行動がめっちゃ早かったです。今すぐ総合病院へ行ってくれと言われて、そのとおりにしました。こうなるのは予想どおりでした。

 すぐに総合病院へ行きました。入院してください、入院は可能ですかなどの確認はなく、手続きはあっという間でした。入院した病院でも担当が女医でした。入院していると暇だからまずはスマホで女医のことを調べました。総合病院だからホームページに医者紹介欄があります。珍しい名前なので、いろいろ検索してみるとここでは言えないことが見えてきました。

 最初の3日間は左足を心臓より高い位置に上げていました。体液流出を抑えるためです。その3日間も含めて、7日間点滴が続きました。1日2回、1時間ずつ、抗生剤入りです。針は常に左腕に刺さったままにしています。点滴のときだけチューブをつなぎます。

 5日目で針の中が詰まったので新しい針に交換です。左腕に刺していた針が抜かれて、右腕へ新しい針が刺されました。右腕に針を刺した看護師は下手だったのか、痛いし、退院後7日くらいは右腕にアザみたいなのが残りました。そもそも私の腕は血管の位置がわかりにくくてこれまでの人生で多くの看護師を困らせてきました。

 左腕に針が刺さっているときは、病室を出て病院のコンビニへ通ったり屋上でぶらぶらしたり、楽しい入院ライフを送っていました。コンビニに1リットル紙パックのルイボスティーが2本売られていて、毎日買い占めていると在庫が3本に増えたので3本買い占めるようになりました。1本100円なのでお得です。毎日病院の外に出てたばこを吸っていたのはここだけの話です。針が右腕に移ってからは行動制限かけられた感じがありました。腕を曲げたら体内へグサーッといきそうな感覚がありまして、飯も左手で食べていました。箸をうまく動かせないのでごはんを左手指でつかんで口へ運びました。

 ある程度改善すると点滴が終わりまして、このときの開放感はなかなかのものでした。病院の近くの公園へ行って猫をなでなでしたり、他の病棟の展望室みたいなところへ行ったり、入院も悪くないな……なんて。

 ベッドの上では、アマプラを見たり、キンドルで小説を読んだり、pixivでイラストをあさったり、スマホがなければ死にそうなことばかりしていました。

 毎日、足の処置がありました。ガーゼを張り替えて膿を絞り出すなどをしていました。それが担当医ではなくて、上司らしき男の医者だったりするとなかなかのがっかり感がありました。担当医は必要最低限のことしか話してこないのですが、上司らしき医師は「痩せなさい。水泳がいいよ。適正体重目指しなさい」を繰り返すのでますますうんざりです。蜂窩織炎の原因の半分は足への過剰な負担、要するに重すぎる体重です。

 病棟は、最初の2日間は内科でした。そのことにはまったく気づいていなくて3日目で空きの出た皮膚科病棟へ移されました。皮膚科病棟が脳外科病棟と同じなので、入院中は脳外科患者の騒音に悩まされました。脳外科担当の看護師は激務でしょうね。脳外科病棟は家族や親戚の関係で何度か出入りしたことがありまして、主に脳出血で頭のヤバい患者だらけだというのは少し知っていました。戦場でございます。私が入院してるときも大声で「助けてくださーい。お願いしまーす」と昼夜問わず叫ぶおじいちゃんや処置中に「早よせえ」と繰り返し怒鳴るおばあちゃん、車椅子で部屋を間違えたり彷徨う患者がいました。某大学病院の内科医だったという方も脳外科病棟に運ばれてきていました。そんな彼らは脳出血だから体がマヒしてるせいでほとんど動けないのです。これでもし動くことができたら想像を絶する恐怖が待ち受けていそうですね。

 内科病棟のとき、私は自分のベッド柵をはずしていました。皮膚科病棟でも同じようにしていたら夜中寝ているときにベッド柵を立てられてしまいました。いや、私、脳外科患者じゃないんですが。内科病棟の看護師は余裕があるというか放置してる感じです。ただ、点滴の時間はきっちり守ります。皮膚科を含めた脳外科は余裕がなさそうです。異常ないかどうかの確認をしてくるし、点滴も時間どおりではありません。

 私が脳出血を起こしたら殺してください、心よりお願いいたします。

 私の病室は2人部屋でして、おとなりさんも皮膚科です。26歳の若い男性でして、脳外科の騒々しさが理解できないらしくて電話で家族にたびたび文句を言っていました。

 そんな感じの入院生活です。1リットル紙パックのルイボスティーを毎日ゴクゴク飲んでいたら舌が真っ赤になりました。何度歯磨きしても赤さが残りました。看護師から「直で飲んでるんですか」と訊かれました。そりゃそうでしょう。コップに移すなんてめんどいことはしません。

 血圧を測るときも少したいへんでした。測るときに「力を抜いてください」と言われて、こっちは抜いているつもりなんですけど全然抜けてみたいで、なかなか測ることができないんですよ。ちなみに、血圧は朝なら下80上100、コンビニ帰りなら下100上120という低めです。デブ、喫煙、たまに酒飲むにもかかわらずこの低さです。

 さて、担当の女医は、退院当日目を合わせようとしてこなかったので、私何かやっちゃいました? と内心不安になりました。お世話になりましたと頭を下げても無言でした。退院前日、処置中に胸が見えそうだったので見ようとした件がいけなかったのでしょうか。

 退院から20日ほど経過して、左足脛の傷からの体液流出は1/100まで減ったと思います。1日のガーゼ使用量も順調に減らしています。毎日風呂上がりにシュガーパスタ軟膏を傷口に塗ってガーゼを当てる作業をしています。シュガーパスタ軟膏は成分の70%が白糖です。うんこ色をしています。うっかり床に落としたときはうんこにしか見えませんでした。1月4日現在はガーゼ1枚です。

 退院後2度の通院がありました。2度ともに担当医ではなく上司らしき医師でした。

 人生3度も蜂窩織炎にやられてしまって、この先もお付き合いすることになりそうです。

 入院中で最も痛かったのは、麻酔注射を左足脛に打たれたときです。麻酔注射の痛さはどうにかなりませんかね。

↑退院から20日目の左足脛。

2022年の京阪奈

 すべてはここから始まったのです。まさかちょっとしたかすり傷が、入院するような大事になるなんて。

↑京都へ路面電車に乗りに来ました。嵐山電鉄です。

車折神社

↑この乗り場の向かいで私は電車とホームの間に落ちました。尻が車体のドアに引っかかって、自力ですぐに脱出しました。乗務員や駅員には気づかれていないはずなのでセーフです。落ちた原因は、発車1分前ということで慌てました。ヒヤリとしました。次回からは時間がなくても慌てずゆっくり行動します。

↑良い駅名ですね。

↑痛む足を引きずりながらラーメンを食べにやってきました。

↑痛む足を引きずりながら映画を見に来ました。

↑翌日の奈良です。痛む足はアザだらけになりました。左足脛はかすり傷がついています。

↑大阪でカレー。

↑カレーはうめー。

 このとき左足脛についた傷がまさか蜂窩織炎につながるなんて、このときはまったく想像できませんでした。