2022年2月日本公開
監督:ユバル・アドラー
脚本:ライアン・コンビントン、ユバル・アドラー
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あらすじ:マヤはルーマニアのロマ族出身だが、米国人の夫と結婚して米国に住んでいた。そんなある日、マヤは15年前の第二次大戦中に自身や周囲の女性を強姦殺害したナチスSS部隊の男とそっくりの人間を見つけた。復讐するため拉致監禁し、拷問まがいのことをして自白させようとするのだったが、果たして。
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文明ではありません。
結末は、衝撃的なのですが、私としましては看過できない終わり方になっています。
拉致監禁した男が本当にあのときの男だったのかわからない展開がずっと続きまして、ハラハラドキドキのサスペンスとなっています。それで、マヤは夫に自身がロマ族であることやナチスの兵士にあれこれされたことを秘密にしていたのですけども、夫としては妻の言っていることが本当なのか、夫婦なら信じるべきなのかという問題も出てくるわけです。
いやはや、なかなかのドキドキです。
それでね、夫としては捕まえた男が妻を苦しめた犯人なのかどうかわからないから確実な証拠をほしがるわけですよ。夫、えらい! 夫婦だからといって盲目的に信じるべきではないわけです。いろいろとね、真実と信頼の物語でございますよ。
この映画について気になる感想がありました。他人の感想なんですけどもネット上にある感想だからここにも書いてしまいますけども、「日本の司法は証拠主義だから真実が闇に葬られる。なので、この映画のような結末も必要だ」みたいなことを言ってるやつがいて、は? 日本が証拠主義? 法的には証拠主義だが実際は自白や状況証拠だけで有罪判決を出しまくりじゃねえか。この映画とやってることは同じですわ。何が証拠主義だ、ボケ。ふざけるな。
確実な証拠に基づいて裁くべきでございますよ。自分が逮捕されて裁判にかけられたら同じことを言えるのかって話ですよ。
まあ、そうです。この映画も結局は証拠がないまま男は復讐されちゃいます。どのような形で、とは言いませんがね。その点が気に食わないのであります。復讐してしまうと、それもまた新たな罪になってしまいますからね。
マヤが想像を絶するひどい目に遭ったのは確かにそうなんです。マヤの内心は本当に酷なことになっているのです。ナチスにあれやこれややられたことが悪夢となって夜な夜な思い出してしまうのです。本当に辛いことです。でも、だからといって確証無しで男を裁いてもいいのかよって話ですよ。男が第二の被害者になってしまうじゃないですか。
マヤだけのことを思うと、このような復讐劇があってもいいのかなという気持ちになってしまいますが、ここはひとつ、踏み止まっていただきたい。