事のはじまりは、20年前だと思います。
ケツの割れ目、谷間の左側崖付近に異物があることに気づきました。深さはおよそ1センチでしょうか。当時の大きさは爪の先になんとなく感じる程度のものでした。
2017年ごろには、長時間座ると痛いほどに成長しました。2019年春は10分座るともうだめ、痛くて耐えられないほどでした。大きさとしては拳くらいです。がっしりつかめます。
トイレで排出作業を終えたあとのシャワーは、菊の御紋に直接当てるために大きな腫瘍をかきわける必要がありました。
本人がやたらと痛い痛いと言うようになったので周りが「いい加減病院行って取ってもらえ」と言われていました。でも、手術って怖いじゃないですか。なので、病院に行かずにずっと放置していました。
「手術がこわくて放置してます」「ええ加減行きなさい。常に痛そうにされるこっちの身になってほしい」
放置していましたが、本人もさすがに痛みに耐えられなくなりましたね。とうとう病院に行きましたね。ちなみに、座る以外は痛くありません。仰向けで寝ている状態でも痛みはありません。しかし、この件で病院へ通いはじめるとおそらく意識しているからなのでしょうけど立っているときでも痛く感じるようになりました。
まずは、町医者です。何科に行けばいいのかよくわからないのでとりあえず皮膚科です。「尻なんですが……」とバーンと見せたらすぐに「うちでは手に負えないので日赤を紹介します」となりました。
予想していたとおりの流れになりまして、日赤へ行きました。物を見る前の医者は(除去なんておおげさな。まあ、一応診るけれども)という感じでしたが見てすぐに態度が変わりましたね。これはすごいなあ、時間をもらいますね。とのことでした。病名は左臀部腫瘍(入院の時点で左臀部軟部腫瘍になっていた)となりました。中身はおそらくですが粉瘤だそうです。
退院後にお知り合いに言われて気づいたのですけど、自分でその粉瘤を絞り出すことはできなかったのかということですね。たしかに、そうですよね。なぜそれができないのか。ことあるごとにガシガシ触っていましたけど。実は左上腕と右上腿にもありましてそちらは自分で絞り出せます。なのに、なぜケツだけはそれに至らなかったのか、言われてみて謎になりました。
手術は全身麻酔がいいなあと思っていました。だって、怖いんです。こちらが希望するまでもなく医者のほうから全身麻酔でいきますと言われました。喘息は麻酔のとき影響が大きいとのことです。私は喘息持ちで、ここ数か月くらいわずかながら発作を起こしていました。まあ、でも、大丈夫だよね、「ここ数年発作は起きていません」と伝えました。じゃあ、大丈夫ですねとなりました。
MRIで良性か悪性かを確認して、もちろん良性で、入院と手術の日程を決めました。ものすごく簡単に、どんな感じで切るのかを説明されて、入院を待ちました。
ちなみにMRI検査の日時を私が間違えてすっぽかしているので、それがなければ状況は1週間早まっていたでしょう。
4月1日14時入院です。退院は4月3日午前の予定です。
面会者の出入は検温や住所氏名の記入など厳しい対応でしたが、腕に入院患者のリングを巻いている私は出入自由でした。腕のリングを見せてそのまま病院の外に出られます。1階にあるローソンへは内側の入口が封鎖されているので正門を通っていきます。
お菓子を食べたり、飲み物を飲んだり、好き放題していました。お隣さんは耳の遠いおじいちゃんです。2人部屋です。やたらと電灯を気にしているようで、つけっぱなしだと私に迷惑かけるとのことです。そんなの言われたらこっちもつけづらいじゃないですか。とりあえず無音放屁を繰り返しました。
0時以降は手術のために食べ物禁止です。23時45分ごろお菓子を食べました。
消灯後はおそらく30分に1回、見回りが来ていたと思います。懐中電灯で照らされます。
翌朝、そういえば屋上があって公園みたいになっているという話を思い出したので術前に屋上へ行ってみました。アクリル板ごしに風景を眺めます。床は木です。
手術が近づいて、ほんの少し緊張しました。術前3時間前に点滴の痛みをやわらげるためのテープが貼られました。ここからは飲み物も禁止です。
13時、徒歩で手術室に入りました。ドラマでよく見るとおりの内装です。手術台、手術台を照らすライト、そのまんまです。自分で手術台に上がって、横になっていると周りを7人とか8人くらいが行き来している感じでした。
仰向けになったり、ケツを横に向けたり上に向けたり。
全身麻酔と聞いていたのに、半身麻酔となっちゃいまして、腰に何度も麻酔針が刺されました。痛いのなんのって。ンギイイってなりながら耐えていたら「これ以上奥へ入っていきません」とのこと。結局全身麻酔へ切り替わり、左腕点滴から麻酔の何かが投入されました。血圧とかを表示しているディスプレイの時計が見えていまして、13時35分。こんなので眠くなるわけないですよね。麻酔のときの様子をWEBで見ますけど、気づいたら何もかも終わっていましたなんて、ハハハ、ないない。その証拠に今まったく眠くありませんし。
ファッ! 15時30分。
気づいたらめっちゃ息苦しくて、喘息の発作が起きていることに気づきました。ぐる‘‘じい‘‘……喘息のことをちゃんと伝えていなかったからこんなことになったんだと反省していると「成功です。徐々に楽になります」と言われました。医者たちのミーティングが始まって「無事成功です。このあと座ることは避けてもらってうんぬんかんぬん」というのが聞こえました。息苦しいことはどうやら全然問題ではないらしいです。
麻酔によって落ちる瞬間の記憶はまったくありません。13時35分の鮮明な記憶と、15時30分の鮮明な記憶の間をつなぐものがいっさいありません。
気づいた時点で、手術室ではない別の部屋に移っていることが理解できました。ICUですね。
手足に力は入らず、舌が回らない感じがあって、何より息苦しい。
医者が近づいてきて「見ますか」って。ああ、除去したやつですか。手に何か持っていますね。顔をぶるぶるぶるぶるして拒否しました。そしたら医者が「見たがる患者と見たがらない患者がいて」と別の医者に話しかけていました。
16時10分くらいに病室に戻りました。ベッドのまま移動です。この時点で息苦しさはだいぶ改善されていました。点滴と酸素吸入は続きます。17時くらいになると、点滴も酸素吸入もワシにはいらん! という感じになっていたのですが、続けないといけないらしいですね。酸素吸入は19時まで続きました。点滴は翌日10時まで続きました。
それで、肝心のケツですけど、痛いです。切った感じがあります。今までとは違う痛みです。
その痛みは20時ごろにはほとんど感じられなくなりました。痛み止めが点滴から投入されているようですので。
点滴がついているから動き制限があります。というよりも、点滴の針が体に刺さっているのがこわくて、あまり身動きを取りたくないですね。本当に、私は注射とか嫌いなんですよ。献血とか無理なんです。点滴の刺さっている左腕を見るのも嫌です。下手に動いて左腕の針がグサーってなったらこわいですから。
点滴が刺さっているのに、とうとう尿意に耐えられなくなって、ナースコールを押しました。「と……いれ……いきたいですぅ」
こうやったらトイレ行けるよ。という説明を受けまして、術後初めて自分の足で立ち上がりました。生まれたての子馬みたいになるかなと思ったらけっこう普通でした。点滴のぶら下がっている棒(車輪付)をおそるおそる押しながら、左腕につながっている点滴チューブがひっかからないように注意を払いながら、ベッドからトイレまで10メートル弱をゆるゆる歩いていきました。
傷が便座に当たらないように気を付けて座りまして、排出して、ベッドに戻りました。
4月3日朝7時、術後16時間ほど経過です。診察によるとええ感じみたいです。
点滴がついたままで自由に動けなくて、ただひたすらじっとしていました。下手に動いて点滴チューブをひっかけたり、腕の針がブスーとなったら怖いですから。
午前10時、点滴から解放されました。請求書をもらったので支払を済ませつつ。ピザ持ち帰りを予約したら45分待ちだそうで。
はい、というわけで、除去工事でした。
抜糸は4月10日です。最近は抜糸しなくても糸が皮膚と同化するようなやつがありませんでしたっけ。でも、私の場合は抜糸が必要だそうで。
4月4日17時、痛みはほとんどありません。ときどきズッキーと来ますけど。傷のために、あまり座らないようにしてくださいねと言われているのでできるだけ座らないように気をつけています。
術後1週間は座らないように、安静です。立つか、寝るか。座っても大丈夫なクッションは購入済です。あと、シャワートイレ推奨です。普段からシャワートイレを使っていたので行動範囲のシャワートイレ位置はほぼ把握しています。
↑説明書。
↑ベッドからの眺め。
↑箸などは自分で持ってきてください。私は慌ててローソンへ買いにいきました。病院飯はイメージ悪かったけどうまいです。味うすいけど。
↑これ以外にエアリアルというお菓子やミルフィーユショコラなどを持ち込んでいました。お菓子おいしい。
↑病院の近くのステーションパーク。C12機関車と客車。
↑夜景。
↑術後のごはん。
↑3日目朝のごはん。
これ以外に汚画像がいくつかありますが、そちらは掲載しません。私でも見るのが嫌なくらい汚です。