
2019年9月日本公開
監督:アンソニー・マラス
脚本:ジョン・コリー、アンソニー・マラス
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あらすじ:2008年11月26日、インドのムンバイで発生したテロ行為は超高級ホテルのタージマハルホテルにも及ぶ。1000人の客と500人のホテルマンが銃撃の恐怖に襲われる。
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胃が痛い!
テロリストがムンバイの街に入っていく冒頭からずっと胃が痛い!
表情変えずにサーチアンドデストロイしていくから、胃が痛い!
本当に胃が痛くなりました。もうやめてくれ、頼むから許してくれ、画面の中のテロリストに向かって許しを乞います。
そして、最後は泣きました。エンドロールではうなだれました。周りの客から苦しそうで重そうな吐息が聞こえました。
なんなんだ、この緊張感は。緊張に殺されてしまいそうです。画面の向こうのテロリストに撃たれるんじゃないかと恐れ慄きます。マジです。
イスラムとキリストとヒンズーとユダヤの宗教対立が作中のあらゆるところに描かれます。さらに、ソ連のアフガン侵攻までも描かれます。いや、はっきりとその場面が出てくるわけではありませんけどね。ずっと銃撃の恐怖と戦うだけのお話なのに、世界が抱える問題をガツンと見せつけてきます。だいたいね、アフガンから来たテロリストもその生まれた経緯といえばそもそも歴史をたどれば印パ問題だったりするのです。その印パ問題の発端を作った英国許すまじ、米も許すまじ、それだけじゃない、異教徒全部が人じゃないから殺さなきゃいけないという凄まじいテロリストの意思にやられてしまいます。
テロリストにも家族がいるんだよ、ってところでも泣きます。
作中のロシア人が最初は口汚くて、こいつは物語の王道だったら無残な死に方をしてしまう哀れな奴だぜ、ていうかこいつマジで腹立つからテロリストさん、こいつです! と思っていたのですが、途中から手のひらクルーです。ただし、ソ連のアフガン侵攻についてのお話になった部分ではもう一度手のひらクルーしそうになりました。一方で、彼なりにアフガン侵攻の責任を取ったのかなという見方もできますね。このロシア人が気に入らないなあと思っていたけど、あれ? いい人かもしれないと思わされた部分について、ロシア人が説教したおばあちゃんがいます。そのおばあちゃんに駆け寄った主人公が勇気を持って語った場面はできすぎている感はありますが、自分をさらけ出して必死に勇気を持って話せばわかる相手もいるんだということですね。印パ問題も中東問題もアフリカも南米も世界が語り合いで決着つけることができればいいですねなんてことは言いませんけど。
そういえば、バックパッカーの白人2人組がレストランで食事をしているときに注文しただのしていないだのの場面がありましたけど、もしかしてこれは英国の二枚舌外交を模したものだったりするのでしょうか。タクシー運転手と歩く歩行者の罵り合いももしかして何かを表しているのでしょうか。人間はちょっとしたことをきっかけに大きな争いへと発展してきた歴史を表しているとでもいうのでしょうか。
主人公の靴、これがもし最初からちゃんと履いていたら……これについては作品上でうまい小道具になっていなかったとも言えますが。靴以外にも、突入した警官2人がその後どうなったのかな、気になりますが、もしかして私は見逃していますでしょうか。見逃していないとして、それでいくと、銃撃の緊張感が半端ないこと以外の細かい描写が雑なんじゃないかなと思えるので全面的に作品を高評価することはできない、いやいや、でも、銃撃の緊張感で胃が痛くなったのでいわゆる5億点です。
作中ではいっさい描かれないことですが、タージマハルホテルが作られた経緯も民族や人種の対立に関係しているようです。昔、ムンバイにあったホテルに泊まろうとした現タタグループの一族がいたそうです。しかし、白人専用ということで宿泊を拒否されたことに怒って、どこにも負けない豪華なホテルを作ってやると決意した結果のタージマハルホテル建設らしいですよ。こんなホテルに泊まってみたいですね。ホテルマンが全力でサービスに徹するわけですよ。客の情報を調べてその客が最も喜ぶサービスを提供しようとするわけですよ。日本だったらリッツカールトンとかですかね。泊まってみたーい。
私は毎年、11月以降にその年で最も強烈な映画と出会っていまして、今年はそれがなさそうだなと思っていました。今年はすんげえやつがないなあ、なんて気を抜いていたところにこちらの作品です。
では、最後に。
ムンバイ同時多発テロ、ごめんなさい!
全然知りませんでした!
(最初の2行だけ文字が大きいですけど直し方がまったくわかりません。)