あらすじ:作家志望のスキーターは米国南部(ミシシッピ州ジョンソン)の上流階級に生まれ、黒人メイドの存在が当たり前の地域社会で育ってきた。だが、大学から戻った彼女は、白人社会でメイドたちが置かれた立場が、もはや当たり前には思えなくなってくる。そして、身近なメイドたちにインタビューをしようと試みるが、彼女たちにとって真実を語ることは、この南部という地域社会で生きる場所を失うことを意味していた。そんなある日、白人家庭に黒人専用トイレの設置を義務付けようと活動する、スキーターの女友達の家で働いていたミニーが、トイレを使用したため解雇されてしまう。誰もが口をつぐむ中、ミニーの親友のエイビリーンが勇気を出して、ついにスキーターのインタビューに応じた。そしてその小さな一歩は数多くの勇気へと広がり、やがて彼らを取り巻く社会を根底から揺るがす大事件へと発展していく。
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この映画が、私が今年映画館で観た映画30本目でした。ABCクラスのさらにその上のSクラスの映画に今年はまだ出会えていません。去年の私のSクラスといえば「冷たい熱帯魚」「リアルスティール」「アジョシ」「キックアス」「猿の惑星創世記」「ラプンツェル」などがあるわけです。去年は今から思えば豊作だったのです。しかし、今年はまだこれらに匹敵する映画に出会えていないのです。
今作も、期待したほどの内容でもなかったです。悪くはなかったですよ。良かったですよ。私の単なる好き嫌いでしかないと思うんです。ものすごく良かったと言いたいところですが、それは無理です。
作中の人物について、救われた人、救われずに終わった人がいます。ミニーは最終的に救われました。エイブリーンは最後に放り出されて前途多難となりました。基本的に、ジョンソンの人々は皆前途多難となりましたけどね。そんな中でもミニーとか救われているんだし。
このあたりの救われた、救われてないというラインなんですが。出会いにあると思います。良い人と出会うことができたかどうかですべてが決まっているじゃありませんか。スキーターが出版することに成功したのはすべて出会いにあったわけですよ。出版社のえらそうな女性、協力してくれた黒人ヘルプたち、母親。良い人たちばかりの協力があったから出版できています。最後も母親が守ってくれました。
ミニーもシーリアとの出会いがその後の彼女を決めたし、シーリアもミニーによって救われています。
この映画って、黒人差別がどうのこうのというよりも、出会いによって何もかもが決まっていくよということを表しているんだと思います。出会いと環境で、人々は変わっていくのですよ。
私の上司も人々は環境で変わるとおっしゃっています。
出会いと環境で私たちは人生を左右されるのです。人々との出会いは大切だよねってことです。それがよくわかる物語でした。私も、仕事を変えてきましたけど、今の仕事は、上司や同僚が良い人たちだからこそがんばれているところがあります。そういう出会いに支えられているのを感じているので、この映画の出会いという部分に注目しました。
この映画を観ているとフライドチキンを食べたくなります。でも、チョコパイを食べたくなくなります。
それにしても、どうして邦題にするとくだらない副題がつくのでしょうか。〜心がつなぐストーリー〜はいらないですから。絶対にいらないです。
あと、映画館でビニルをくしゃくしゃさせるのはやめてください。うるさいです。迷惑です。